【震災から8年】FUKUSHIMAの被災はまだ続いていた

磐田市で太陽光発電を推進しているキタイ電気、クミエです。

先日、新エネルギー革命会の皆さんと、
2011年3月11日、東日本大震災の津波で大きな被害を受けた
福島県浪江町や福島第一原発から20km圏内を訪れました。

お世話になっている新エネルギー革命会のみなさん。
遠方から空路、新幹線でいらしています。

まだ震災は終わっていなかった

復興省が役目を終え閉鎖される予定だとニュースで報道されたり、
東京オリンピック招致のスピーチでは「under control」と首相が
おっしゃっておりましたが。。。

現実はとてもとても。
報道されている情報とは違っておりました。

「どうしようもない」
そんな言葉がなんども出てくるほど、
現状は深刻。

健康被害が子供や弱者に容赦なく降りかかり、
一つの症状としては、甲状腺の病気が異常に多く
発症してしまっている現実を私たちは全く知りませんでした。

依然として、プレコンバックと呼ばれる汚染土の入った真っ黒な袋があちらこちらに置かれている光景が広がる20km圏内。
8年がたち、老朽化で破れたのか、袋から出してはまたシートで覆う
作業があちらこちらでみられました。

一時的に保管されるはずの農地にプレコンバックは何年も置かれ、
その農地は転用されることもなく、また農地として活用できるのでしょうか。。。

 

ガイドさんはもと漁師さん

今回、福島第一原発20km圏内ツアーをご案内人くださったのは、
特定非営利活動法人野馬土、元漁師の志賀さんでした。

志賀さんは、ご高齢にもかかわらず、10時〜14時まで約4時間立ったまま。
真剣に福島の現実を私たちに教えてくださいました。

「伝えること」「語りつぐこと」
それが重要だと繰り返して訴えて
いらっしゃいました。

物語が語り継がれますように。。。

福島県浪江町請戸小学校の奇跡をご存知ですか?

海岸線から直線距離でわずか300mほどの海岸に面したこの小学校で
卒業式の練習をしていた生徒と先生方は、奇跡的に津波から逃げきることができたそうです。

見えにくいかもしれませんが、
窓ガラスに残る白い汚れから恐ろしい高さで津波が襲ってきたことが
分かります。

学校へ来た保護者へ、子供の引き渡しを拒否してまで避難を優先させた、
校長先生の判断、そして途中で道が阻まれてしまった時に
獣道を案内した生徒の勇気ある行動により、
この大平山へたどり着き、ぎりぎり津波の被害を避けられたそうです。

私たちはバスで移動したのですが、5分ほどかかりました。

この道のりを先生と生徒たちは、車椅子の子を背負い
上級生が下級生の手を引き、助け合い一目散にこの丘をめざしたそうです。

ツアーの参加者の電気工事店さんが教えてくれました。

「以前、この近くにすんでいたことがあってね。」
「ここは、ごく普通に建物があった街だったんだよ。」
「今は建物だけでなく人もいなくなってしまった。」

この丘に被災された住民182名お名前とこの地で起きたことが刻まれていました。

”私たちは、災害は再び必ずやってくることをわすれてはならない”

これは、地震大国日本に住むすべての人々へ
向けられた言葉です。

避難解除されても帰れないのは理由がある

これは街のあちらこちらに設置されている計測機器です。
この赤い字で記されている値とは全く違った数値を目の当たりにしました。

 

仮設住宅が閉鎖され、現在は復興住宅へ移住された被災者のみなさん。

横のつながりがなくなり、外へ出ることが
極端に減ってしまったお年寄りも多いそうです。

元気がなくなり、心が疲れてしまい、誰にも相談できず
悩んでいる方もいらっしゃるそうです。

震災は今もまだ続いている。

これは、私たちが目を背けてはいけない現実でした。